3.11 私が目にしたもの。

あれから5年。

ちょうど3.11の震災のあの日私は、宮城県仙台市の実家に居ました。

あまりの揺れと時間の長さに、家の中はみるみると姿を変えていったのを覚えています。

揺れがひと段落して、足の踏み場のない家の中を進みながら外に出ると、空からは雪。まわりには同じ事を思い外に出てきた住人の方々。

着の身着のままで出てきた多くの住人の肌に、つんと痛い風が刺さっていました。

私は母と共に避難場所の小学校へ。

しかし、もちろん小学校は受け入れの体制もできていなかったし、暖房器具も少なく、毛布もほぼない。

ライフラインは全て止まっているので電気ストーブなんか使えないですからね。

冬の寒い冷え切った体育館にみんなでじっとしていました。

石油ストーブが稼働し、少し落ち着いてから家に戻り、防寒具、毛布や布団を持ち再び小学校へ。

その日は体育館で一夜を過ごしました。余震に揺れる体育館の音に恐怖しながら。

体育館の床ってね、本当に硬いんです。

何を敷いても固く冷たく、体の芯まで凍らせていく感じ。

でも考えたら私たちは山沿いだったのでまだ良かった。

沿岸部の海沿いの方々は「津波」に多くの命を奪われているのです。

当然それらの情報は、何日も経った後に知るわけですが、その中には友人のご家族も居ました。

いたたまれない。

もう5年も経って、被災地は復興してきているように見えますが、それは表面だけです。

あの震災は5年経った今もなお、被災地と被災した方々の心に深い爪痕を残したまま。

残された私たちは、この無情な震災から学び、ひたすらに前を向いて生き抜いていかないといけないなと思います。

震災によって亡くなられた皆さまのご冥福をお祈りいたします。

祈り 3.11

手描き パラレルペン・筆ペン

山田 夢人

 

 

追記

私が震災の夜、家に毛布などを取に行こうと外に出た時、そこに広がっていたのは何もかもを包み込むような「夜」でした。

なーんにも見えないんです。明かりが一つもありませんから。しかもそれはおそらく一部ではなく被災地全域にわたって停電でしたからね。

しかしそんな時に空を見上げると、皮肉にも視界一杯にちりばめられた星たちが輝いていました。

あんな数の星と素敵な空を人生で見た事が無かった。

それだけ発展した街の明かりや社会が、この「自然の凄さ・脅威」から自分たちを麻痺させていたのかもしれません。

「自然」のもつ力をいつまでも忘れないように、私は生きていこうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です